2011年3月31日木曜日

マーシャルの文化って

今のマーシャル、ぱっと街なかを歩いたり、タクシーで通ったりすると、
建物も割としっかりしたものが多く、
現地の人たちはふんどしや上半身はだかではなく、
洋服を着ています。
スーパーへ行けば、アメリカからの輸入品だらけ。
マーシャルには一見、伝統や文化ってあまり残っていないじゃないかって思ってしまいます。

でも、数少ない今も残っている文化の中で、大好きな文化があります。
それがハンディクラフトです。




マーシャルに多く生えているヤシやパンダナスの葉を用いて作ります。
通常は白。
葉を染めれば、さまざまな色で華やかな花を作ることができます。
今回、この伝統的なハンディクラフトを活かした日本へのチャリティープログラムがスタートしました。
基本の花に、中心部分に赤を用い、周りは白で日本の国旗をモチーフとした花を作りました。
この花の売上利益を日本への支援金とします。

ほかに、イヤリングも。
マーシャルでは、赤ちゃんでも耳にピアスの穴が開いています。
そして「イヤリングは絶対に売れる!!」の配属先のアドバイスのもと、イヤリング大量生産。




こんな感じで日本へ少しでも手助けになれば、
少しでもマーシャルのことを知ってもらえればいいなと思います。
これをきっかけに、日本との距離がより近くなることを願っています。

ちなみに、先週のマーシャルジャーナルに載った記事。

Flowers for Japan
WUTMI has launched a fundraiser using specially-designed Marshallese handicrafts. Red and white flowers and red and white earings - the colors of the Japanese flag - are being sold to raise funds to provide to help earthquake and tsunami relief efforts. WUTMI Director Daisy Momotaro said the flowers, made by women on Wojet atoll, are being sold $3. Two dollars will go to Japan relief, with $1 for each flower going to the makers. The earrings are selling for $5, again with $2 going for Japan relief, and the balance to the makers. "We're selling them throgh our website and our office, and we've already received a lot of orders," Momotaro said. She said money reised through this effort will be given to the Japan Embassy for transmission to Japan.


WUTMIでは、特別にデザインされたマーシャルのハンディクラフトを用いたチャリティーを始めた。
赤と白の花、赤と白のイヤリング(日本国旗の色)は地震と津波救済を支援するため売り出される。
WUTMIのディレクター・Daisy Momotaroさんは、「Wojet atollの女性たちが作った花は$3で売られる。$2は日本の支援として送られ、$1は生産者へ支払われる。」
イヤリングは$5で売られ、$2は日本の支援、$3は生産者へ支払われる。
「私たちはウェブサイトやWUTMIオフィスでこの花とイヤリングを販売します。
すでに多くの注文が入っています。」と、Momotaroさん。
「この利益は日本大使館を通じて日本へ渡される予定です」


私の日本語訳は合ってるか謎ですが、こんな感じです。
少しでも多くのお花やイヤリングが日本のみなさんの笑顔に変わればいいなと思います。





他にもいろいろな種類あります。
またの機会に紹介します。


2011年3月29日火曜日

LOVE PEACE CARE

日本で起きた地震について、現地ではまだまだ落ち着くことはないようです。
死者の数も増加して、福島第一原発の周辺20キロ近くはまだまだ手つかずで、
どれだけの人がそこで命を落としているのか、まだわかっていないようです。

今日は、ひとつのチャリティーサイトを見つけました。

WORLD DIRECT STYLE というファッションブランド通販サイトが今回の地震における被災地への復興支援につながるための、チャリティーTシャツを始めたとありました。

http://directstyle.world.co.jp/sp/charity/project/love_peace_care/index.html

レディスとメンズ、それぞれ合計28グランドが協力し、
「LOVE(愛) PEACE(平和) CARE(思いやり)」というロゴの入れたオリジナルデザインで販売します。
このキャッチフレーズは、16年前に起きた阪神淡路大震災の際、同じようにオリジナルTシャツを作成し、そのとき使用したキャッチフレーズだそうです。


販売価格は各2,100円
サイズは、レディース:S、M、Lの3サイズ
       メ ン ズ:M、L、LLの3サイズを展開
*購入した代金のうち、原価・販売経費・税を除いた全収益額を日本赤十字社 東北関東大震災義援金に寄付されます。
*送料はかからず、支払はクレジットカード決済のみのようですが、海外からも購入可能です。
その際は、会員登録が必要となります。
*届くのは、6月の上旬から下旬にかけての予定です。

*レディースのブランド*
●aquagirl       ●adabat     ●anatelier     ●ALBUM
●UNTITLED       ●ITS'DEMO   ●INDIVI       ●INDEX 
●OZOC                 ●OPAQUE         ●COUP DE CAHINECE
●grove                ●THE SHOP TK MIXPICE           ●3can4on
●THE EMPORIOM                           ●SHOO・LA・RUE
●DRESSTERIOR    ●HusHusH          ●PINK-latte    ●F.O.B COOP ENTHESE
●FLAXUS               ●BASE STATION                          ●MINIMUM
●Reflect       の24ブランド

*メンズのブランド*
●adabat                   ●THE SHOP TK MIXPLCE            ●TAKEO KIKUCHI
●TK                        ●DRESSTERIOR                             ●BASE STATION
●HEC byHECTIC   ●BOYCOTT              の8ブランド

レディース・メンズともに展開するブランドもあるため、
カップルでおソロとか、サークルで着るとか、いろいろできそうです。

私の中の一押しは、aquagirl と anatelier のバックリボンが萌えです。



チャリティーTシャツ/aquagirl

2011年3月23日水曜日

朝のメール

今日、同じ時期に派遣された協力隊員から、同期の全体メールで連絡がきた。
朝、配属先に来て、メールをチェックをしていたところの話。
件名が「ニジェール 国外退避のお知らせ」と。

以下 本文です。


22-1KTCの皆さま

活動お疲れ様です。

元ニジェール隊より、お知らせが。


この度、安全対策上の理由により、ニジェールにおいて活動中だった青年海外協力隊全員の国外退避およびニジェールへの隊員派遣を当面見合わせることが決定されました。
ニジェールではこれまで、特にフランス人を対象として、マグレブアルカイダによる誘拐リスクがあり、日本人に対しても注意喚起がなされていました。
今年に入り、米国平和部隊ならびにフランス政府ボランティアがニジェールでの活動を中止し撤退したことを受け、協力隊員の相対的被害リスクが高まったとの判断がなされました。
隊員は3月2日に国外退避の知らせを受け、すでに全員が日本に戻っています。
(安全管理上の理由から、日本に全員が帰国するまでこの件は内密とのことだったので、連絡が今になりました)。

22-1隊員は避難一時帰国扱いとなり、任国振替もしくは任期短縮となります。
(20-4は通常の任期満了、21-1は特別任期短縮、21-2以降は任国振替もしくは任期短縮)。
(このあたりの処遇に関して詳しく知りたい人は、ニジェール隊員に個人的に聞いてください)。
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活動をやりきることができず、全員が悔しい思いを残したままニジェールでの活動を終えました。
皆さま、どうか一日一日を大切に任国で過ごしてください。
2年間任国にいることすらできなかった私たちからすれば、ただそこにいられるだけでも羨ましいことです。
世界中で22-1KTCメンバーの活動が上手くいくことを心から願っています。
しかし、落ち込んでばかりもいられないので各隊員、次のステップを模索中です。
世界のどこかで会いましょう。


p.s.


皆さんご存知の通り、3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生しました。
帰国前であったため、本人が災害に巻き込まれたニジェール隊員はいません。
(震災は退避勧告の後、帰国の前というタイミングで起こりました)。
今回の国外退避により、手が空いたボランティア約70名が日本にいるわけで、元ニジェール隊員有志も何かできないかと考えました。
しかし、素人が思いつきの行動を自己満足のためにしても効果は非常に少なく、むしろ安易な同情は被災者の方々に失礼という意見がでました。
メッセージはメディアによって情報へアクセスのある安全地域の困っていない人には届けど、安否確認も困難な被災地の人々へは届かないだろうし、千羽鶴はゴミにしかならないのが現実です。
現地に入るにしても、食料、水、寝場所、トイレ等をボランティアが使ってしまっては本末転倒です。
救援はプロに任せるべきであり、災害救援の専門知識も技術もお金もない私たちが現状でできることといえば、プロの救援機関など(赤十字など)へ募金するのが精一杯でしょう。
個人的にも東北出身者に大切な友達がいるので、何かできないか日々考えていますが、考えれば考えるほどに自分の無力さを受け入れるしかありません。

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このような事情で一旦は静観するしかないと思いました、、、が、JICAより待機中ボランティアに東北地方救援ボランティアの募集がかかりました。
(二本松において福島原発地区から避難された方々を受け入れるなど、JICAも救援活動を行っている模様)。
ボランティアを受け入れる体制のある組織について行動できるならば、我々にもできることがあるかもしれません。
このボランティア活動は強制ではないので、元ニジェール隊員全員が参加するわけではありませんが、待機中は日本のために頑張ります。
詳細は未定ですが、どのような活動になったのか、機会があればお知らせをしたいと思います。



以下、引用おわり。

そうだったんだ、ニジェール隊員、私たちの同期は11人です。
訓練所の時から仲良くしてた隊員もいます。
一度も話していなくても、顔はもちろん知ってるし、
写真を見れば、「元気かな?」「活動、上手くいってるのかな?」なんて勝手に気にしていました。
そんな仲間が日本に戻っていたなんて、全く知らなかった。

そして、私は優しく平和なマーシャルにいることをとても幸せに思う。
いつもあと1年と何カ月だ・・・なんて考えていた。
そんなふうに思うのはやめないといけない。
ニジェール隊員はもうそんなことを考えることさえできないのだから。
そして、今一番日本が大変な時期に帰国し、私たちより「被災者になにかしたい」という気持ちが高いと思う。
そんな彼らの真剣な気持ちが代表で連絡をくれた隊員からひしひしと伝わってきた。

また、会えるかな。
もう会えないなんて、イヤ。
でも私たちはニジェール隊のぶんまで、任期をしっかり全うしよう。

2011年3月20日日曜日

私の1週間

日本で地震起きてもう1週間が経ちました。
こちらマーシャルの隊員の中でも、被災者の方々に何かしたいという気持ちがあり、
日本の状況が心配で1番の活動に身が入らない隊員もいるようで・・・
そんな状態じゃあ協力隊じゃない!
ちゃんと活動しろ!!
と言われても仕方がないのですが、
その隊員さんたちもやりたくなくて活動していないとかではなく、
大好きな生まれ育ったた日本のことが心配だから、条件反射的にそうなってしまっているのだと思います。
むしろのんびり構えていたら、心配じゃないんですか?と私が言われてしまいます。

複雑です。
日本のことは心配だし、
何かできるのであれば私にできることをしたい。
でも活動がメインであり、
遠く離れたこの島からできることは限られています。

最近たまに目にするコメントやメッセージで、
「私たちが後ろ向きになってどうする!」
「今こそ前を向いて明るく生きよう!」
というようなものがあります。

確かに、被災地に住む方々、現場で懸命に救助活動や原発の事故処理をされている方々の苦しみを想像することはできても実際にどんなものか、この場からは計り知れない。
まして、いつもこの状態が続くまでそんなことを繰り返していて、なんの意味があるのか。
被災者の方々、さまざまな作業に取り組まれてる方々のためにも、私たちは私たちらしく、自分たちがやるべきことをただ真摯に行うことが大切なのではないかと感じています。

答えはないとは思いますが、考えれば考えるほどさまざまな答えが出てきそうです。
しかも年が経つにつれ、こうゆう難問を考えるのが嫌いになってしました。
わからないものはわからない。
だからそのまま。
ダメですけど、そうします。

なので、不謹慎かもしれませんが、
ここでも活動にも力を入れたいし、
記録にも残したいので、
今まで通りグロブをつづっていきたいと思います。
そしてマーシャルの人たちにも日本のことをもっと知ってもらえるような活動を今後やってきければ幸せです。

2011年3月17日木曜日

悲しい現実

日本の地震を聞いたのは、任国外旅行から帰って来る途中でした。
マジュロにあと1つ離島に停まれば、久しぶりの我が家。
2週間の旅行を一緒に過ごしたミクロネシアの隊員たちと別れを告げるために飛行機の外へ出たとき、突然日本人の客室乗務員さんから「どうやら日本で地震があったようですよ」と一言だけ教えてもらえました。

日本でまた地震。
マーシャル時間で、もうすぐ8時かそこらでした。
日が沈み、あっというまに夜になるころ、
次の島、クワジェリンにむけて飛行機は飛び立ちました。

1時間そこらで次の目的地へ到着。
機内では降りる乗客が準備をして、いざ降りようとしたところ
「マジュロへ行くお客様は、荷物をもって外へ」といった機内アナウンスが突然流れました。
日本人の私は、いきなり聞こえてくる「マジュロ」というアナウンスに理解できずにいました。
マーシャル人たちもそのときはすぐに理解できていませんでした。
偶然にもグアムから配属先のマーシャル人スタッフが乗っていたため、彼女たちと一緒に行動し外へ出て、飛行機へ戻れることをただ祈るばかりでした。

しかし、飛行機をマジュロへ離陸せず、直接ハワイへ行くことになったと待合室で私たちに伝えられました。
全員で20~30人近くのマジュロへ目指していた乗客はクワジェリンで降ろされ、どうすることもできませんでした。
待合室のテレビでは、日本の地震の様子が流されていました。
まさか、世界規模でニュースになるほど地震はひどいのか。
そう思ったとき、「ツナミ」という声も聞こえてきました。
地震による津波でマーシャルにも被害でるということが、このとき始めてきづいたことでした。

私たち日本人は、一緒に旅行していた隊員1人とマジュロに仕事目的で行こうとしていた男性の3人。
私たちは、なぜ日本がこんなことになっているのか、理解できずにいました。
きっとそれは、日本人ばかりでなく、他の人たちもきっとそうだったと思います。
テレビには激しい波のたつ海の上にたつ建物の屋上にたくさんの人たちが集まっている様子。
しかしそれは空港の様子だったようです。
とにかく、マーシャルに来る津波も心配でしたが、
なにより日本の情報がはっきり入ってこないことがより一層私を不安にさせていました。

マジュロへ行こうとしていた台湾人の旅行客は、空港スタッフに抗議し飛行機に乗らせろと言っていました。
どんなに誰かが主張したところで、もう飛行機には乗れないだろうと思いましたし、それどころではなく、不安しか私の頭にはありませんでした。

飛行機はハワイへ飛んでいき、私たちはクワジェリンで津波到達まで待機することとなりました。
クワジェリンにいても津波は来るときは来るし、どこにいても死は近くにあるもの。
私たちとコンチネンタルのスタッフは空港2階の一室に集まり、待機。
一人一人の名前と国籍を確認し、飛行機は次の定期便まで飛ばないことを説明してくれました。
そして、クワジェリンはアメリカ軍基地のため、通常アメリカ人とマーシャル人以外自由に空港外を歩き回ることができません。
しかも宿泊なんてそう簡単にできないところ。
そのため、空港スタッフとアメリカ軍兵は、隣の島イバイへ行くことを勧めてきました。
しかし、誰もイバイへ行こうとせず、みんなクワジェリンへ残ることを主張したため、次の定期便まで残ることになりました。

そこで過ごした貴重な体験はまたの機会に。


しかし、時間が経つにつれ、日本の情報がCNNニュースで伝えられました。
どんどん増える情報と映像。
避難所生活の映像も流れました。
きっと映像で観るより、もっともっと深刻な現場がそこにはあるのだと思います。
3月でも今年の3月はとても寒く雪も降っています。
マーシャルにいると寒い冬の感覚が鈍くなってしまいましたが、それでも冬はとてもつらいものだったことを覚えています。
しかし、私の知ってる福岡の冬より、東北の冬はもっともーっと厳しいものでしょう。
冷たい体育館のような避難所やちゃんと外と壁のない場所へ避難している人びとも多くいると思います。
そんな場所で、全て流され、何も持たずにただ命だけでも助かりたいという思いで逃げてきた人ばかりだと思います。

日々変化する日本の情報、
しかも良くなるどころかますます悪化していく。
原発も爆発し、放射能漏れの心配も出てきました。
放射能やそれに関する情報をよく知っているわけではないので、
どれだけ深刻なのかを語ることはできませんが、
ただただ日本のみんなが無事でいてくれること、
これ以上死者増えてほしくないと願うばかりです。